蒲田で読書してます

完全読書ブログ宣言!

蒲田で読書してます(12)河本薫『会社を変える分析の力』は、流行に流されずビジネスへの貢献を祈念する伝道師の熱意が炸裂していた!

理系あるある

わたしは、大学に入ってこのかた、25年間弱(!)、ずっと理系人間である。社会人になってその手の呼称は「技術系」に変わったが、なんのことはない、ずっと実験したり、データを見て考察し、それらの対価として給料をもらっている。

わたしの専門は生物学、もっと詳しく言うと生化学、さらに詳しく言うと酵素学、ということになるのだが、そこは面白いもので、25年間も理系人間として生きてると、その他の分野のデータも読み解けるようになる。とくに、いわゆる「ウェット」という実験科学の分野ならたいがいのことは理解できる。不思議なものである。

そんなこんなで日々実験データに接しているのだが、このごろうんざりするのは「分析しました、以上」というひとたちがほとんどを占める、という現状だ。本当に、本当に、うんざりする。なぜ、うんざりするのか。

たとえば、あなたは、気象が専門というひとに「今日は雨降りますか?」と聞くとする。すると、そのひとが「今日の湿度は80%です」と答えたとする。これってあなたの質問に答えてますか。こういう事態が技術系の世界では頻繁に起きるようになっている。もはや日本は技術立国ではなくなりつつあると現場レベルで感じている。

 

分析プロフェッショナルへの道のり

本書は上記の悲惨な技術立国の状況に一石を投じる好著である。書かれたのは「AI時代」の勃興前の2013年だが、ビッグデータ、IoT、DXの入門書として十分役立つ。著者は、大阪ガスでデータ分析を用いビジネスに貢献している、という実績から本書を書くに至ったという。

たぶん、危機感は一緒、理系人間の底がどんどん浅くなっている。だから、手法に溺れてはダメですよ、手法から得られた結果をどう意思決定に用いるのか、そこに自分のメッセージをどう載せるか、を滔々と説いている。理系人間は高度な分析手法や複雑な解析手法に滅法弱い。しかし、そういった「専門性」はただのマスターベーションにすぎず、独り善がりでなんの価値もない。つまり、手法が目的化していると喝破する。

大事なのは意思決定に貢献するというマインドであり、繰り返しになるが手法はその方便でしかない、と実例を引いて教えてくれる。複雑怪奇な手法は見た目は良いかもしれない。けど、単純な数式でも、経験則と組み合わせれば、課題解決の強力なツールになる。ようは、意思決定の役に立つ。つまり「使われないと意味がない」のだ。

いやぁ、目が覚めますよ。

 

専門性のワナ

理系人間は専門性を過大評価する。しかし、専門性ほど危ういものはない。最先端技術は10年もすればだれでもできる陳腐化した手法になりさがる。でも、原理原則さえ理解していれば、専門性をアップデートしつづけられる。そして、原理原則を身に付けることが、意思決定というアウトプットへの近道なのではないか。そのことに気づいてない理系人間は本当に多い。

理系人間にかぎらず、数字や予測に騙されたくないひとも読んだほうがいいかも。

会社を変える分析の力 (講談社現代新書)