蒲田で読書してます

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蒲田で読書してます(8)サイコパスを知りたきゃこれを読め、春日武彦、平山夢明『サイコパス解剖学』と『サイコパスの手帖』はアハ体験に満ちたカタログ集だった!

前口上

どうも鉢碌です🏎

世間はコロナ一辺倒ですが、会社はいつもどおり組織立って運営されてる、なんか違和感ありますよね。それ、東日本大震災のときにも感じたんだよなー。

と思いつつ、本の紹介をします。

 

変なひとはサイコパスかもしれない

さてさて、今回は本を2冊紹介します、といってもシリーズですね、精神科医春日武彦と作家の平山夢明の対談形式になってます。話題はサイコパス

このサイコパスって言葉、専門用語ですよね。たぶん映画や小説経由でメディアがアウトサイダーの典型例として流布したのでしょうか? たとえば、ジョナサン・デミ監督『羊たちの沈黙』(1991)のレクターとか。この映画が公開されたのが30年前で、いまだに概念として通用するのは、アウトサイダーを理解するのに都合が良いというわけですね。

サイコパスの定義は、『サイコパス解剖学』の冒頭にあるように、「精神病質の者」です。本書では、数々の猟奇殺人者、ヒトラースターリン等の政治家、FBI心理分析官のロバート・K・レスラー、市井の奇人変人等々、さまざまな状況で現れるサイコパスを、言いたい放題で挙げています、分かりやすいカタログ集というか。また、春日さんも、平山さんも、自分たちのことをあっけらかんと話すのが面白い笑 それを読んでると、「あぁ、おかしいアイツはサイコパスだったんだ…」みたいなアハ体験につながり、ひいては「俺が悪くないし、おかしいくないやん」と一服の清涼感が得られます。そう、世の中には他人の気持ちが極端に理解できない、狂ったヒトも紛れ込んでいます。だから、あまり気に病むことないかもしれませんね。

 

あなたもわたしもサイコパス

ただ、忘れてはならないのは、自分自身もサイコパスの要素はあるかもしれない、という平衡感覚です。おそらく誰しも偏りはあります。つまり強弱の問題。ただ、自分の好きなようにするために、他人をマインドコントロールしたり、モノのように扱ったりするモンスター級のサイコパスが存在することを忘れてはなりません。関わった挙句、悲惨な結末が待っている。本書はざっくばらんに例示してくれます。『サイコパス解剖学』には、「話せば通ずる」という幻想は捨てるしかない、という小見出しがありますが、至言ですね。

 

サイコパスは遺伝なの?

中野信子サイコパス』では、サイコパスはミラー遺伝子の欠損が原因(アルペルガー症候群でも同様な説がある)と書かれていたりしますが、どうなんでしょうか? ミラー遺伝子は共感を司る因子と言われていますが、どうなんでしょうか、専門外なので詳しいことは分かりません。それもひとつの要素であるかもしれないですが、決定的とは言えない気がします。なぜなら、普通ってどうやって定義したら良いんでしょうか? ルールを守るといっても、忠実に従う場合と、スレスレで満たす場合と、前述のように強弱があります。前者も後者もそれぞれサイコパスが潜んでいる可能性はあります。しかし、遺伝学的な理解としては、おそらく表現系は画一的になるはずなので、行動の差異が極端に出ることはあまり考えられません。これは鉢碌🏎のポリシーですが、生まれながらに悪だというのは考えたくないですね。遺伝学をサイコパスに持ち込むのはまだまだ時期尚早のように感じます。ちなみに、『サイコパス解剖学』でも中野信子さんについて言及されてます。

 

距離感に気をつける時代

コロナ禍中でも浮き彫りになっていますが、中間層という幻想は完全に崩壊し、浮き沈みの激しい、過酷な時代が来ます。そうなってくると、サイコパスのようなアルティメットなサバイバーが台頭してくる可能性は高いです。小田晋は、エルンスト・クレッチマーを引き合いに出してこんなようなこと言ってます、平和な時代には我々が精神病質者を管理するが、疾風怒濤の時代には精神病質者が我々を支配する。そういう狂ったひとたちには適切な距離感で接しましょう。その距離感も千差万別。自分が取り回しやすい間合いを見つけることが重要な時代ですね。

サイコパス解剖学

サイコパス解剖学

 
サイコパスの手帖

サイコパスの手帖

 
サイコパス (文春新書)

サイコパス (文春新書)

  • 作者:中野 信子
  • 発売日: 2016/11/18
  • メディア: 新書